デープ・パープル「Made In Japan」をハイレゾで聴く(2)
Live In Japan gatefold sleeve
                                              Live In Japan Gatefold Sleeve
<Marshall PA>
当時の英国のロック・バンドの多くはマーシャルのアンプとマーシャルのPAスピーカーを使ってコンサートを行った。マーシャルは大規模な野外コンサートにも対応する大出力のPAも提供可能だった。ディープ・パープルもマーシャルのユーザー。リッチーは言うまでも無くマーシャルだが、キーボードのジョン・ロードも、当時はリッチーに対抗するため、マーシャルを使用していた。ベースのロジャー・グローバーも当然マーシャル。イアン・ペイスのドラムの横にはホーンを使った大型のPAスピーカーが並ぶ。切れ目無く同じ密度でサウンドの壁を作れたわけだ。
Marshall PAチラシ
Marshall 400W PAのパンフレット

来日時バンドは7月に完成したばかりの新しいマーシャルのPAミキサーをロンドンから運んできた。新しい卓は16ch。それまでの12chのミキサー卓に比べ、格段にクリアーな音を届けることが可能となった。他のマーシャルの機材とともに同社が日本に派遣したのがKen Flegg氏。新ミキサーを開発した技術者でもある。一行に同行した氏が語る録音秘話がディープ・パープルのファン組織DPAS(Deep Purple Appriciation Society)のファンジン”Darker Than Blue”に掲載された。投稿者はDPASを主催するデープ・パープル研究家として知られるサイモン・ロビンソン。最近の彼の著作「Wait For The Ricochet」(Deep Purple"In Rock" album物語)のためにFlegg氏から書面で提供を受けた来日時の情報を了解を得て転載したもの。

Darker Than Blue

Recording Made In Japan」には新ミキサー卓の話とともにジャパン・ツアーの日程も語られ、前述の大阪の会場が大阪厚生年金会館であったこと、日本でミックスダウンが行われた事も書かれている。
バンドの日程を整理すると
[Deep Purple Japan Tour]
1972年8月12日 Deep Purple ヒースロー発
1972年8月13日 Deep Purple 羽田着
1972年8月15日〜8月17日 大阪・東京公演
1972年8月17日〜8月20日 ミックスダウン
1972年8月21日 Deep Purple 一行離日
1972年8月20日 Deep Purple 一行 JFK着
1972年8月24日 Ken Flegg、Martin Birch ヒースロー着
完成したマスターテープは米国経由でロンドンに持ち帰られている。
ここでサイモン・ロビンソン氏について補足すると、1972年の3日間の演奏曲目全てを3CDにまとめる企画をEMIに提案。これは1993年の3枚組CD「LIVE IN JAPAN - 21st ANNIVERSARY」として製品化された。マルチマスターが日本にある事をつきとめたのも彼。最近までディープ・パープルのテープ保管・管理者の役割を公式に努めていた。

<Recording>
ワーナー・パイオニア(当時)の担当者の熱心な申し出でレコーディングが行われることになった。しかしバンド側はライブ盤の制作に乗り気でなかったようで、録音の覚書(契約書)に次の条項が盛り込まれた。
1) 日本のみの発売に限る。
2) 演奏の状態が悪ければ発売しない。決定権はバンド側にある。
3) 録音はバンド側のスタッフが行う。
4) バンド側がテープを持ち帰りミックス・ダウンする。
デープ・パープルが録音エンジニアとしてバンドに同行したのはマーティン・バーチ。同年3月発売の「マシーン・ヘッド」からはバンドのレコーディング全体を任されている。

Martin Birch
Martin Birch

運び込んだマーシャルのPA用ミキサー(16ch)は強力な武器となった。少なくともイアン・ペイスのドラムのサウンドをビビッドにとらえることができる。「Live In Japan」の表紙は内藤忠行氏の武道館の舞台後方上部からステージをとらえた写真(画面トップの見開きスリーブの写真参照)。マーティン・バーチのドラムのマイクセッティングが良く分かる。ライブ録音を意図したブームスタンドを多用したもの。サウンドボード(PA用ミキサー)からステージ脇に設置された録音機材への受け渡しはStage Box(多チャンネルケーブルの分岐・接続用機材)を通じて行われた。
録音用機材は日本側が用意した。1972年当時、16chの調整卓は容易に調達出来たはずだが、問題はマルチトラックレコーダ。丁度8トラックレコーダーが日本で導入され始めた時期。(レコード会社の工場には8トラ・カートリッジの生産用にマスターのAMPEX8トラックレコーダーが複数台設置されていたが、録音スタジオ導入は遅れた。)
東京・大阪の往復があるため可搬型に近いもの。しかも2時間におよぶコンサートを途切れなく録るためには最低2台必要。この条件に合い、日本側関係者のおめがねにかなったのがオタリが開発したOtari MX-5050。ハーフインチ (1/2インチ)8 trackのレコーダーだ。発売は1973年以降なので、おそらくはプロトタイプか試作機。その性能の高さから業務機器としても人気機種となり、17年後の1989年にニルヴァーナは同機の後継機 MX-5050 Ⅳ(マーク4)でデビュー作「Bleach」を録音している。

Otari MX5050
Otari MX5050 MK Ⅳ-8a

サウンドボードからの音はほとんどストレートにレコーダーに収録された。後にジョン・ロードは3日間のレコーディングは『オン・ザ・フライ(直接書き込み)』だったと述べている。
可搬型に近いコンパクトな筐体。しかもテープメディアが1/2インチと言う事で、バンド側は日本製の機材を過少評価していた。しかし録音テープを聴いた途端、懸念は吹き飛んだ。その鮮明な音と録音の出来の良さに驚いたという。
8月17日の武道館コンサート終了直後ミックスダウンが開始された。ロンドンでハーフインチ 8 trackのレコーダーを調達するのが困難だった事。日本側が発売を急いでいたことがあげられる。作業には融通の利くワーナー・パイオニアの自社スタジオ(当時事務所と同じ六本木のビルの上階にあった)が使われたようだ。ミックスを担当したのはイアン・ペイスとロジャー・グローヴァーの二人。もちろんマーティン・バーチが全体をコントロール。作業期間中他のバンドメンバーは殆ど顔を出さなかったという。
マスターの権利はバンド側にあるということでディープ・パープルが精算した金額は3,000ドル(約110万円)。「Live In Japan(Made In Japan)」は日本と欧州だけでなく最終的に米国を含む全世界で発売された。しかも単価の高い2枚組LPということもありバンドに莫大な印税をもたらした。
「Made In Japan」をハイレゾで聴く(1)を読む
 
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