ウォール・オブ・サウンドの秘密(1)
ロネッツ

フィル・スペクターの『Wall of Sound』はハリウッドで誕生した。
そのサウンドを生んだGold Star Studioに焦点をあて誕生の秘密をさぐってみよう。
1963年、ハリウッドはニューヨークにかわってポピュラー音楽界の中心地になろうとしていた。『ガール・グループ』や『ガールズ・ポップ』のヒットが続き、ロネッツ「Be My Baby」がヒットしていた頃だ。 エース・ドラマー、アール・パーマーやハル・ブレナンが打ち出す正確なリズムにのって、ハリウッド録音のサウンドがアメリカを席捲しはじめていた。ハリウッドでレコーディングするために、東部のニューヨークや海の向こうの英国からも音楽制作陣がLAに殺到するようになった。

ロック・ポップの拠点となったのがGold Star Studio。所在地はハリウッドのほぼ真ん中。パラマウント・スタジオにほど近い所にあった。1984年に閉鎖され跡地はショッピングモールになったため、今はその姿を見る事はできない。
ロスアンジェルのColumbia、RCA、Capitalなどのメジャー系スタジオに見られる古い伝統的なやり方に縛られない、ユニークで柔軟性に富んだ運営。さらに時代を先取りしたサウンドでGold Starは評価を高め、独立系としては世界で最も成功したスタジオのひとつとなった。人気を高めた理由は次の4つがあげられる。
ゴールドスタースタジオ
Gold Star Studios 1960年代初頭

1) ウォール・オブ・サウンド
1962年から1966年にかけての5年間は米英の音楽業界からGold Starが特に熱い視線を浴び時期だ。ニューヨーク生まれのユダヤ人の若者が技術的にも物理的にもユニークなスタジオの使い方を編み出し、革新的なサウンドでここからヒットを続けたからだ。若者の名前はHarvey Phillip Spector。自らはフィル・スペクターと名乗った。
フィルスペクター02
Phil Spector 1962年
2) 門外不出のエコーチェンバー
Gold Starのエコーチェンバー(ルームエコー)はエコーの響の良さで早くから人気が高かった。チェンバーの設計・施行とも自社。門外不出だった。スタジオ駐車場の地下に2つ設置された。デビッド・ゴールド(創設者の一人)自らが施行し、チェンバー内部塗装も自ら行った。スペクター作品には欠かせない特徴的なフレーバーを加える装置である。Gold Starは友好関係が長かったA&Mスタジオにもエコーチェンバーの仕様を明かすこと拒んだという。唯一部外者で秘密のチェンバーの内部を見たのはビージーズのモーリス・ギブただ一人。
3) 手作りの録音装置
Gold Starは1950年に、ハリウッド在住の音楽作家や映画・TV制作関係者のためのデモ作りのスタジオとしてスタートした。ミキシングコンソール(調整卓)やデスク録音機(ラッカー盤に溝を刻む録音器)はゴールドの手作り。購入したシンプルなモノラル・テープレコーダーを同時に用意してスタートした。回路を全て真空管で構成した調整卓は音抜けが良く、特にスタジオAに置かれた2号機はフィル・スペクターのお気に入りだったという。
4) The Wrecking Crew
Gold Starの強味はまねの出来ないハウスバンド、通称"The Wrecking Crew"がいたからである。この名称になじみの無い人も多いと思うが、ハリウッドの凄腕セッション・ミュージシャンの集まり。スペクターのGold Star録音では毎回ほぼ同じメンバーが揃う様になり、リーダー格のドラムのハル・ブレインがThe Wrecking Crewと命名した。スペクター以外の利用者もGold StarスタジオとともにThe Wrecking Crewのメンバーを指名するようになった。ミュージシャンなどの詳細は後述。
Wecking Crew 02
The Wrecking Crew in Gold Star's Studio A 1963年

 
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