英国の音 ロッド・スチュワート「ナイト・オン・ザ・タウン」
ナイト・オン・ザ・タウン

「アトランティック・クロッシング」から9ヶ月後の1976年6月に発売されたアルバム。印象派ルノワールの絵を用いたジャケットのデザインが目を引く。名画 "ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット"(オルセー美術館所蔵)を下地にカンカン帽とクラバッド(首に巻いたスカーフ)という当時のいでたちのロッド・スチュワートの姿が真ん中に描かれている。
収録曲「Tonight's the Night (Gonna Be Alright)」(邦題:今夜きめよう)は全米No.1を7週記録し大ヒット。彼の国際的な成功を決定づける作品となった。
前作とほとんどダブらないミュージシャンが起用されている。これだけ沢山の個性的なミュージシャンで録音して、同じ色彩で統一したトム・ダウドのプロデュースの手腕は本当に見事。
ブリティッシュ・フォークとサザン・ソウル的なテイストを融合させたサウンドが、前作より心持ちふっくらしたドラムスの低音とギターの音に支えられて心地よく響く。Mercury時代の音に戻ったかのようだ。

このアルバムのクレジットでは1曲 "The First Cut Is The Deepest" のみがマッスル・ショールズ録音で、残りはすべてハリウッドのチェロキー・スタジオで録られたとある。
2007年に閉鎖され、跡地はマンションになったが、チェロキー・スタジオはLAで最も成功を収めたスタジオだ。ゴールド、プラチナに輝く作品を300枚以上生んでいる。(そのうち3枚はロッドのもの。)ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンがその著作のなかで米国で最も優れたスタジオはチェロキー・スタジオだと褒めたというが、妙に納得してしまう。実はこのスタジオには英国の血が入っている。

チェロキー・スタジオ
Cherokee Studios 1986年

ミュージシャンでもあったロブ三兄弟が開いたスタジオがチェロキーだ。名前は自分たちのバンド名からとったという。1970年はじめ、最初のスタジオはLA郊外のチャットワースの牧場に作られた。1975年、ロブ兄弟はハリウッドの中心部フェアフォックスにあるMGMの録音スタジオを買い取ってそこに移る。この時チェロキー・スタジオが正式名称となった。
以前から英国のスタジオ・サウンドに興味を持っていたRobb兄弟はビートルズの「ヘイ・ジュード」、そしてニルソン「ウィズアウト・ユー」の録音に使われたコンソール(調整卓)を探し求めていた。特にそのピアノの音だった。それらの録音は当時の音とあまりにも違っていたからだ。三兄弟共通の好みの基準になった音はロンドンのトライデント・スタジオで録られたことがわかった。どちらにもSound Techniques社の
A-range consolesが使われていた。

新しいスタジオで最も大切なコンソールを最終決定する前に、兄弟は英国のコンソールのヴェンダーにサンプル用の2ch分のモジュールを発注する。Neve、 Heliosそして Cadacのサンプルは早くから届いていたが、締め切り間際に届いたのが野暮ったい箱に入ったTrident A Rangeモジュールだった。モジュールを取り付けマイクでドラムスを録ってみる。トライデントの音は他の三者とのコンテストを終わらすのに充分なものだった。
さっそく兄弟は最初のコンソールをトライデントに発注する。トライデント・スタジオの自社用の次に作られ2号機がTrident Audio Developments社からチェロキー・スタジオに納入される。最終的に全部で13台製造されたTrident A Rangeコンソールのうちチェロキーは4台を購入した。3台はトライデントから直接。もう1台(最終ロットNO.13)は業者を通じて納入された。

Trident A-Range Console
Trident A-Range Console

Trident A Rangeはスタジオ録音史上最も音楽的なコンソールと呼ばれている。その秘密は心臓部にトランス入力を採用したフルディスクリート(ICを使わないトランジスタ構成)のマイクプリアンプを搭載していること。ローミッド&ハイミッドEQで使用されたインダクタ(コイル)が、A-Rangeの特徴的なサウンドを決定づけている。
Trident A Rangeコンソールの最初のプロダクション・モデルで録音された作品はどちらもMGM時代からの顧客のものだった。デヴィッド・ボウイ(「ステーション・トゥ・ステーション」)そしてフランク・シナトラ(「クリスマス・アルバム」)の2作品。ちなみにチェロキーの第一スタジオはMGM時代にはシナトラのオケ録りのスタジオだった。

ロッド・スチュワートもよっぽどここが気に入ったと見えて、トム・ダウドによるあと2作品「明日へのキック・オフ」、「スーパースターはブロンドがお好き」で使い、さらにその後も度々このスタジオで録音している。

ボウイ&シナトラPKG

「ナイト・オン・ザ・タウン」はロッド・スチュワートが新録アルバムで全英1位を獲得した最後の作品となった。シングル・カットされた「Tonight's the Night(今夜きめよう)」は米国では7週1位という大ヒットになったが、母国では最高位5位までしか行かない。
英国病が深刻化し(1976年には英国は財政破綻し、国際通貨基金[IMF]から融資を受けることとなった。)高い失業率にさらされていた英国の若者たちに、ロッド・スチュワートのセレブな姿は疎ましく映ったのだろう。そしてパンクの足音はもうそこまで迫っていた。
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「アトランティック・クロッシング」から9ヶ月後の1976年6月に発売されたアルバム。印象派ルノワールの絵を用いたジャケットのデザインが目を引く。名画

まとめwoネタ速neo 2012/06/25 04:39