英国の音 ローリング・ストーンズ モービル・スタジオ(再掲載)
はじめに
この記事のオリジナルは2012年7月29日に公開した「英国の音 ローリング・ストーンズ モービル・スタジオ」だが、末尾に述べた理由により一部修正したものを再掲載する。

Rolling Stones

ポップ・ロックの分野で歴史に残るレコーディング・スタジオといったら、まずあげられるのはEMIのアビーロード・スタジオ。次に名前をあげるとしたらローリング・ストーンズのモービル・スタジオになるだろう。有名ロックバンドの代表曲の歌詞にこのモービル・スタジオが登場することになった経緯はファンならずとも興味をひく話だ(後述)。

ストーンズのミック・ジャガーが音頭をとって移動録音設備を自前で実現する計画を立ち上げたのは1968年。当時英国のポップ・ロック系のミュージシャンのほとんどは高額なスタジオ料金の請求に喘いでいた。既成のスタジオは1950年代からのクラッシク録音をベースにした保守的で制約の多いスタイルを変えていなかった。朝9時から夕方5時までの営業、3〜4トラックのマシーンでの一発録り。1曲はその日のうちに完成させるというやり方。しかも料金は高い。
世界を席巻しつつあった英国のトップ・ロック・バンドの不満は日増しに高まっていた。60年代末のロックは演奏も録音もそれまでとは比べもにならないくらい複雑化していた。1968年を境にして、マルチトラックと共に新しい録音技術が一挙に入ってきたにもかかわらずスタジオの姿勢に変化はなかた。
ビートルズのようにEMIがあり、マネージメントのブライアン・エプスタインと音楽監督のジョージ・マーティンの三者が運営を総合的に調整していたバンドは良かった。
デッカ・レコードから離れ、独立会社でマネージメントを任せる人がいないローリング・ストーンズの場合はそのすべてがミック・ジャガーの肩にかかっていた。好きな時に、好きな所で、好きなだけ出来る。コードや曲の進行の確認。念入りなリハーサルと時間をかけた録音を行える新しい環境。これが解決策だった。

Stones Mobile 1
Rolling Stones Mobile

当時TV中継車は存在していたが、録音車なんて影も形も無かった時代だ。計画では「移動」より「可搬」にポイントが置かれた。大型のバンにコントロール・ルームがあり、マルチトラック・レコーダー/調整卓/マイク/スタンド/ケーブルなどの一式がコンパクトに収容され、丸ごと指定の建物に横付けできるというのが基本コンセプトだった。
可能な限り最新機材をというのがミック・ジャガーの希望。ミキシング・コンソールにはストーンズが1966年から1972年に渡り6枚作品を録音したロンドンのオリンピック・スタジオの主任技師Dick Sweetenhamが独立して作ったHeliosが使われた。最初は3M社の8トラックと4トラックのレコーダーがそえつけられた。レコーディング・ユニットはBMC(ブリティッシュ・レイランド)のシャーシに架装された。
1969年に完成したモービル・スタジオは早速ストーンズのハイドパーク・コンサートの録音に運び込まれた。
翌年にはヨーロッパで最も早く16トラックのレコーダー(3M M56)を装備するスタジオとなった。

スターグローヴ
Stargroves Mansion

1970年ミック・ジャガーは英国ハンプシャー州イーストウッドヘイに巨大な領主の館スターグローヴを購入した。リハーサルや録音に持って来いの建物だった。玄関フロアに巨大な吹き抜けがありライブな響きはストーンズの音楽にマッチしていた。ここでの録音は「メイン・ストリートのならず者」と「イッツ・オンリー・ロックンロール」で聴くことが出来る。
評判はあっという間に他のバンドにも伝わる。真っ先にモービル・スタジオを使ったのはレッド・ゼッペリンだった。「III」をはじめに「IV」、「聖なる館」、そして「フィジカル・グラフィティ」までの4作品をモービル・スタジオで録音している。特に後半の2作品はスターグローヴを使って録られている。
ゼップに続いてストーンズのモービル・スタジオの熱心なクライアントになったのはディープ・パープルだ。
1971年12月4日〜21日ディープ・パープルはスイスのモントルーでレコーディング・キャンプをはっていた。録音のためストーンズのモービル・スタジオをレンタルしていた。場所はモントルーのカジノも入る複合施設の一部。丁度録音に入る前日、同じ複合施設のコンサート・ホールから火が出て施設全体が全焼してしまう。フランク・ザッパのコンサートの観客の発光弾が原因といわれている。サッパの機材は焼けてしまったが、レマン湖対岸の宿泊先のホテルに駐車していたモービル・スタジオは無事。録音はホテルの廊下などを使って行われた。この事件を歌ったのが有名な「スモーク・オン・ザ・ウオータ(Smoke On The Walter)」。2012年7月、作曲者の一人でキーボード奏者のジョン・ロード(享年71歳)が亡くなった。弔意を表したい。対岸の火事のことを歌った歌詞の中でモービルのことはto make records with a mobile...と触れている。

Casino Fire
火事を撮った "smoke on the water" のNews写真 Dec.3,1971

ディープ・パープルはこの曲の入った「マシーン・ヘッド」に続く次のアルバム「バーン」もストーンズ・モービルを使って録音している。

Stones Mobile to Cargari
Rolling Stones Mobile way to Calgary 

移動録音設備としての利便性とともにモービルの人気を支えたのがキレのよい中域が特徴のHeliosの音だった。ストーンズ・モービルにつづいて数多くの録音モービルが作られたが、その多くがHeliosのミキシング・コンソールを採用している。ちなみにストーンズ・モービルのオリジナルHeliosはミュージシャンのレニー・クラビッツに引き取られたという。
1980年代にはいると放送局の仕事が多くなる。BBC、キャピトル・ラジオ・・・ 。1982年コンピューターを使ったシンクロ技術が確立すると映像と音の同期が完全にとれるようになり、ストーンズ・モービルも録画中継や映像作品の録音の仕事に主に使われるようになった。
1980年代末、元ストーンズのメンバーだった、ビル・ワイマンがAIMS (Ambition Invention Motivation Success) 立ち上げのためストーンズ・モービルを借り受けている。プロジェクトは若いバンドに仕事のチャンスを与えるため、このスタジオを利用してデモ作ることを目的とした。リキュールのペルノがスポンサーとなった。
1990年代半ばにニューヨークのLoho Studiosに売却され米国に送られる。2000年に入りカナダのカルガリにある楽器博物館を運営するカントス音楽財団がストーンズ・モービルの最終オーナーとなった。機材も含め完全修復が行われ、録音可能な状態での動態保存が行われようとしている。
上の写真はストーンズ・モービルがトレーラーでカナダのカルガリに運ばれるところ。車体全体がAIMSカラーのブルーに塗られProjectのロゴが入っている。

さいごに
ストーンズの”モービル・スタジオ”(車載移動録音システム)の事を参照しようとブログ内検索をかけても出てこない。管理画面に入り「記事の管理」を見てみると編集のステイタスが『閲覧』、状態は『凍結』となっている。FC2に問い合わせると「JASRACより、歌詞について著作権侵害の申し出があったので、該当ブログ記事を凍結した。」 とのメール。さらに問い合わせると「利用規約違反等で弊社側にて凍結した記事に関しては、ユーザー側で編集・削除等できない仕様となっいるので、侵害ないか十分に確認し、再度新しい記事を作成してほしいとある。」問題となったのはデープ・パープルが歌った「スモーク・オン・ザ・ウオーター」の歌詞のごく一部を引用した部分。ローリング・ストーンズ モービルがどのように歌われていたかを明示するために引用したもの。当方では許諾をとるまでもない”起きたインシデントの事実”を部分的引用したという認識であった。
一番心外だったのはFC2がコンテンツオーナーに何の連絡もせず一方的に『凍結』してしまったことだ。「既にFC2側にて記事凍結対応しましたので、ユーザー様側で対応いただく事はございません。」というのは明らかに一方的。FC2はアダルト系の問題の対応が忙しく一般ユーザーには手が回らないのかもしれない。
 
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