英国パンク・ロック 40周年について考える(1)
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今年は英国のパンク・ロックが世界に広まってから40年を迎える。セックス・ピストルズ (Sex Pistols)がデビュー作「アナーキー・イン・ザ・U.K. (Anarchy In the U.K.)」のシングルをEMIから発売した1976年11月26日から起算している。
<パンク・ロンドン>
40周年を記念し、ロンドン市や国が「パンク・ロンドン」という各種イベント主催している。名を連ねるのはロンドン博物館、大英図書館、イギリス映画協会、デザイン・ミュージアム、フォト・ギャラリー、ブリティッシュ・ファッション・カウンシル他。一役かったのが英国をEUから離脱させた立役者で前ロンドン市長のボリス・ジョンソン(現メイ内閣の外務大臣)。催しは宝くじの助成金9万9000ポンド(約14万ドル)の支援を受けているという。
具体的な催しものを例として挙げておこう
▪️『Punk 1976-78』
2016年5月13日〜10月2日 大英図書館 『Punk 1976-78』(入場無料)

Punk Rock London

<官製「パンク・ロンドン」対する反発>
セックス・ピストルズのフロントマン、ジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)はこれらに対して「催しものになんの相談も受けていない。」「大失敗、単なる見世物。」と述べ、さらに「パンクは、美術館で展示されたり、美化される必要はない」と批判した。
この「パンク・ロンドン」に反発したマルコム・マクラレンとデザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドの息子でファッション起業家として有名なジョセフ・コーレは、パンクがこうした官制キャンペーンになってしまっていることへの反感を表明して、自身で所有しているおよそ5百万ポンド(約8億170万円)相当のパンク関連グッズすべてを、「アナーキー」発売の11月26日にロンドンのカムデンで焼却すると宣言している。場所は申し出のあったステイブルズ・マーケット、テムズ川の船着き場などを検討してるそうだ。

セデショナリーズ Tシャツ

セディショナリーズ(マクラーレンとウエストウッドによるブティック。「SEX」の後継店)の衣料品など、彼の家族の財産であるものを大量に燃やす。「パンクの素晴らしいところは衣装なんて何もいらなかったというところ――安全ピンが1パッケージあれば、それで十分だったんだよ」というわけ。ジョセフは一般のファンにもパンクゆかりの品々を持ち寄って一緒に焼却することを募って「パンク40周年を女王が祝福するということほど、おぞましいものは聞いたことがない。」「いまやパンクは変化のためのムーヴメントではなく、博物館のクソ展示品か、賛辞の対象になってしまった。」と嘆く。母親ヴィヴィアン・ウエストウッドは「どちらかと言えば支持している」とのこと。ピストルズのジョン・ライドンは「いかにも苦労知らずで育ったお坊ちゃんが考えそうなアナーキーごっこ。」「破壊するくらいなら、それを売ってチャリティに寄付するほうがよっぽど人々のためになるだろ?」さらにジョセフ・コーレがランジェリー・ブランドAgent Provocateurを経営していることに対して「なんでお前のところのブラジャーは燃やさねえんだよ!?」」「グッズを売ってチャリティに寄付してもあんまり話題にならないだろうし、お前の下着ブランドの宣伝にならないもんな。売名野郎め!」と毒づいている。
結論はどうなるにせよ気持ち良い話ではない。大英図書館の企画展『Punk 1976-78』の詳細は不明だが、少なくとも2013年5月にニューヨークのメトロポリタン美術館コスチューム・インスティチュートで開催された「The Punk: Chaos to Couture」展に近い内容であってほしいと願っている。同展はパンクの英雄達を紹介するとともに、ヴィヴィアン・ウエストウッドとマルコム・マクラーレンの作品が展示された。二人がロンドン・キングスロードにオープンし、Sex Pistolsのメンバーが着用したことでも知られるSEDITIONARIES(セディショナリーズ)のコステュームの数々が紹介されていた。

<Sex Pistols – Live ’76>
Pistols Live 1976

2016年8月19日発売。セックス・ピストルズは40周年となる1976年の4公演のライヴ盤を新譜としてCD(4枚組)とLP(4枚組)でリリースする。いずれも1976年に行われた英国内での公演の記録。音源には一部ブートレグで出されたもあるが完全版が陽の目を見るのは初めて。ピストルズ公認の作品であり、すべてアビー・ロード・スタジオでリマスターされている。なかでも注目されるのは「ディスク1」。1976年6月4日:マンチェスター/レッサー・フリー・トレイド・ホールにおけるコンサートを収録。コンサートは今や伝説になっているもので、ピストルズのギグを見て触発されてバズコックスを結成した学生、ハワード・ディヴォートとピート・シェリーが自分たちの手でピストルズをマンチェスターに呼びたいとDIYで興行をしかけたライブであった。パンク・ロックがイギリス全土へと波及するきっかけとなった歴史的なライブでもある。ライヴの観客は42人。会場には後にジョイ・ディヴィジョンとなるワルシャワのメンバー、後にザ・スミスのメンバーとなるモリッシー、マーク・E・スミス(ザ・フォール)、後にシンプリー・レッドを結成するミック・ハックネル、さらにマンチェスターのグラナダTVのニュース・キャスターであり後にファクトリー・レコードを創設するトニー・ウィルソン(1950年-2007年)の姿があった。コンサートから10年後の1986年の夏、マンチェスター市をあげてそれを記念する「パンク10周年」の催しが行われる。3日間に渡り市内各所で展示が行われ、最終日はマンチェスターの旧停車場を使った巨大イベント会場G-Mexセンターでマンチェスターゆかりの13バンドが出演する特別コンサートが行われた。トリはスミス、大トリはニュー・オーダーだった。
このレッサー・フリー・トレイド・ホールのコンサートは後のマンチェスターブームの着火点となり、さらにマッドチェスター・ムーブメントや英国でのレイブの興隆を生み、そのまま現在のEDMにもつながっていく。
 
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