英国の音 ローリング・ストーンズ モービル・スタジオ(再掲載)
Rolling Stones

<最初に>
この記事のオリジナルは2012年7月29日に公開した「英国の音 ローリング・ストーンズ モービル・スタジオ」。一部修正したものを再掲載するものである・・・・。

ポップ・ロックの分野で歴史に残るレコーディング・スタジオといったら、まずあげられるのはEMIのアビーロード・スタジオ。次に名前をあげるとしたらローリング・ストーンズのモービル・スタジオになるだろう。有名ロックバンドの代表曲の歌詞にこのモービル・スタジオが登場することになった経緯はファンならずとも興味をひく話だ(後述)。

ストーンズのミック・ジャガーが音頭をとって移動録音設備を自前で実現する計画を立ち上げたのは1968年。当時英国のポップ・ロック系のミュージシャンのほとんどは高額なスタジオ料金の請求に喘いでいた。既成のスタジオは1950年代からのクラッシク録音をベースにした保守的で制約の多いスタイルを変えていなかった。朝9時から夕方5時までの営業、3〜4トラックのマシーンでの一発録り。1曲はその日のうちに完成させるというやり方。しかも料金は高い。
世界を席巻しつつあった英国のトップ・ロック・バンドの不満は日増しに高まっていた。60年代末のロックは演奏も録音もそれまでとは比べもにならないくらい複雑化していた。1968年を境にして、マルチトラックと共に新しい録音技術が一挙に入ってきたにもかかわらずスタジオの姿勢に変化はなかた。
ビートルズのようにEMIがあり、マネージメントのブライアン・エプスタインと音楽監督のジョージ・マーティンの三者が運営を総合的に調整していたバンドは良かった。
デッカ・レコードから離れ、独立会社でマネージメントを任せる人がいないローリング・ストーンズの場合はそのすべてがミック・ジャガーの肩にかかっていた。好きな時に、好きな所で、好きなだけ出来る。コードや曲の進行の確認。念入りなリハーサルと時間をかけた録音を行える新しい環境。これが解決策だった。

Stones Mobile 1
Rolling Stones Mobile

当時TV中継車は存在していたが、録音車なんて影も形も無かった時代だ。計画では「移動」より「可搬」にポイントが置かれた。大型のバンにコントロール・ルームがあり、マルチトラック・レコーダー/調整卓/マイク/スタンド/ケーブルなどの一式がコンパクトに収容され、丸ごと指定の建物に横付けできるというのが基本コンセプトだった。
可能な限り最新機材をというのがミック・ジャガーの希望。ミキシング・コンソールにはストーンズが1966年から1972年に渡り6枚作品を録音したロンドンのオリンピック・スタジオの主任技師Dick Sweetenhamが独立して作ったHeliosが使われた。最初は3M社の8トラックと4トラックのレコーダーがそえつけられた。レコーディング・ユニットはBMC(ブリティッシュ・レイランド)のシャーシに架装された。
1969年に完成したモービル・スタジオは早速ストーンズのハイドパーク・コンサートの録音に運び込まれた。
翌年にはヨーロッパで最も早く16トラックのレコーダー(3M M56)を装備するスタジオとなった。


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英国パンク・ロック 40周年について考える(2)

Sex Pistols 003

今年は英国のパンク・ロックが世界に広まってから40年を迎える。1978年1月ジョニー・ロットンが脱退しピストルズが解散するとともにムーブメントは終焉した。以降ニューウエイブと呼ばれ、別位相のムーブメントになる。英国のパンクとは実質的にはピストルズの登場によって勃発した事件だった。
<フアッション>
キングスロードでブティックを営むデザイナー、マルコム・マクラーレン(1946年-2010年)が出入りの若者をデビューさせたのがセックス・ピストルズ。ブティックのパートナーはのちに英国を代表するトップデザイナーとなったヴィヴィアン・ウエストウッド。バンド名は当時の店名「SEX」から取っている。二人がデザインした新しいコステュームに身を包んだピストルズは活動をスタートする。1976年の春にはピストルズのライブは注目の新人の範疇をはるかに超えたセンセーショナルなものとなり、各地のライブにファンが殺到する。

Malcom & Vivienne 003
Vivienne Westwood     Malcolm McLaren
稀代のプロデューサーとしてマルコムは奇抜なアイデアでセンセーショナルな話題を切らさなかった。TV、ラジオ、新聞、タブロイド紙そして音楽紙。ニュースの載らない日はなかった。現在でもめったに見られないメディアミックスを駆使したキャンペーンが続く。反発を受けたピストルズには次々とトラブルが降りかかった。それもまたニュースに取り上げられる。弩濤のパンクムーヴメントを仕掛け、その戦略を世界規模で成功させたのは間違いなくマルコムの功績だ。



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英国パンク・ロック 40周年について考える(1)
SEXPistols002

今年は英国のパンク・ロックが世界に広まってから40年を迎える。セックス・ピストルズ (Sex Pistols)がデビュー作「アナーキー・イン・ザ・U.K. (Anarchy In the U.K.)」のシングルをEMIから発売した1976年11月26日から起算している。
<パンク・ロンドン>
40周年を記念し、ロンドン市や国が「パンク・ロンドン」という各種イベント主催している。名を連ねるのはロンドン博物館、大英図書館、イギリス映画協会、デザイン・ミュージアム、フォト・ギャラリー、ブリティッシュ・ファッション・カウンシル他。一役かったのが英国をEUから離脱させた立役者で前ロンドン市長のボリス・ジョンソン(現メイ内閣の外務大臣)。催しは宝くじの助成金9万9000ポンド(約14万ドル)の支援を受けているという。
具体的な催しものを例として挙げておこう
▪️『Punk 1976-78』
2016年5月13日〜10月2日 大英図書館 『Punk 1976-78』(入場無料)

Punk Rock London

<官製「パンク・ロンドン」対する反発>
セックス・ピストルズのフロントマン、ジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)はこれらに対して「催しものになんの相談も受けていない。」「大失敗、単なる見世物。」と述べ、さらに「パンクは、美術館で展示されたり、美化される必要はない」と批判した。
この「パンク・ロンドン」に反発したマルコム・マクラレンとデザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドの息子でファッション起業家として有名なジョセフ・コーレは、パンクがこうした官制キャンペーンになってしまっていることへの反感を表明して、自身で所有しているおよそ5百万ポンド(約8億170万円)相当のパンク関連グッズすべてを、「アナーキー」発売の11月26日にロンドンのカムデンで焼却すると宣言している。場所は申し出のあったステイブルズ・マーケット、テムズ川の船着き場などを検討してるそうだ。


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英国の音 再びLS3/5A BBCモニターについて
Rogers LS3/5a
ROGERS LS3/5A/60th Anniversary Edition

最近、ブログに書いた記事『英国の音 LS3/5A BBCモニター』にコメントを頂いた。
骨子は「これは野外録音用のモニターで録音車のバンにものる小型スピーカーです、ただそれだけです。LS3/5はBBCモニターと言う名前だけが一人歩きしてるように思いますが・・?」というものだ。
LS3/5Aは1975年発売から製造完了となった2000年まで1モデルで一般市販を含めて10万ペア、合計20万台が売れたという。ペアで約15万円(当時)。コンパクトなサイズからは考えられない高価なSPだった。20万台のうち3500台はBBC内部での配布。BBCモニターの主力機種、LS5/8やLS5/9が局内でそれぞれ1000台前後であるのと比べると、LS3/5Aの数は圧倒的。過大評価の一言では済まされないものがある。なぜLS3/5AがBBCモニターの代名詞にまでなったのか、LS3/5Aが開発された時代の社会的背景も含めて整理してみたい。

【BBCモニターのグレード】
BBCモニターのグレードは次の2つに分かれている。
■ グレード1(LS5):この規格は「スタジオから送信機へ送る前の段階での音声チェックに使用する最高グレードのモニタースピーカー」とされている(音声には音楽も含まれる)。LS5/8、LS5/9、LS5/12aなど。主にスタジオでの生放送や録音のモニターに使われた。
■ グレード2(LS3):BBCでは「主にスピーチ・プログラムのチェック用に使われる。」とされている。LS3/5a、LS3/6など。
基本的には録音車などでのコンパクトモニターがLS3/5a。FM放送のような中継プログラムが本来のカテゴリー。80年代にかけて40局まで増えたBBCの地方局に多数のLS3/5Aが設置された。1970年代前半に登場したスピーカーの中で周波数バランスも定位感もそれまでのSPの常識を破った優れた特性を持っていた。
同じグレード2のLS3/6は、英国スペンドール社の第一号スピーカー BC1 のBBCでの規格名。「グレード2」だが中型のSP。フラッグシップのBBCモニター LS5/8の導入が始まる1970年代末まで、スタジオでの音楽チェックにも用いられていた。20cmベクストレン・ウーファーとセレッション製のトゥイーターHF1300にスーパーツィーターを組み合わせた3ウェイ。ベクストレンのBとセレッションのCをとってBCとなった。日本でも人気が高かったスペンドールBC2はBC1を一般市販化したモデル。


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ロンドン・オリンピック:開会式と閉会式
ロンドン大会ロゴ

第30回夏季オリンピックロンドン大会は8月12日に閉会式が行われ17日間にわたった大会が幕を閉じた。
「これはコンサートじゃないんだ。オリンピックだよ!」と、開会式の総監督を勤めたダニー・ボイル監督。
7月27日に行われた開会式は英国のポップ・ロック50年の歴史がたっぷり詰まったミュージカル・ショーとなった。
ボイルは音楽監督にアンダーワールドを起用し、シニカルでウィットに富んだ、 イギリス人らしくエッジの効いた選曲となったが、驚きの一つは事前の報道でリークされたようにセックス・ピストルズの曲が2曲も演奏されたこと。「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」のように 王室を批判した曲でさえ、イギリス音楽史の1曲としてリストに加わった。ただ実際に演奏されたのは女王に敬意を払い、エリザベス女王が入場する前だった。ピストルズのもう一曲「プリティー・ベイカント」はクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」に続きビデオ映像で紹介されている。音楽監督のアンダーワールドの二人のセンスの良さはショーの終盤で聴くことができた。ピンク・フロイドの「狂気日食(Eclipse)」からビートルズの「ジ・エンド(The End)」に繋げ、最後にポール・マッカートニー本人が登場して「ヘイ・ジュード(Hey Jude)」を演奏する。当然会場を巻き込んで大合唱というところにでていたと思う。

そして8月12日の閉会式。音楽監督に作曲家のデヴィッド・アーノルド(007シリーズ、BBCドラマ「シャーロック」の音楽)を迎え「ブリティッシュ・ミュージック交響曲(A Symphony Of British Music)」と銘打ったショーを見せてくれた。こちらは60年代から現代までの生タレ中心の「ブリッツ・ミュージック・ショー」。ザー・フー、レイ・ディビス(キンクス)などの60年代の大ベテランからボーイズ・グループのワンダイレクションまでをセレクト。中高年から若年層まで楽しめるエンタテインメント性の高いものだった。


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英国の音 ストロベリースタジオ「アイム・ノット・イン・ラブ」
ストロベリースタジオ
Straberry Studios, Stockport 1973年

仕事でマンチェスターを訪れたある日、地元バンドのカリマ(Kalima)のマネージャーから次の新作のデモが出来たので聴きにこないかと誘いを受けた。1987年の夏のこと。カリマは女性ヴォーカルが中心のスムーズ・ジャズと言って良いサウンドのポップ・バンド。当時日本では少しは話題になってきていたが、地元マンチェスターでのカリマの人気は今ひとつ。存続が危ぶまれる状態だった。私が連れて行かれたのはマンチェスターの中心部から10kmほど離れた郊外のストックポートにあるストロベリー・スタジオ(Strawberry Recording Studios)。マンチェスター出身の10CC(テン・シー・シー)が作ったスタジオだ。
ポップソングの中で最も美しい曲と評価の高い名作「アイム・ノット・イン・ラブ(I'm Not In Love)」(1985年)が作られたスタジオだ。

もう夕方を過ぎていたので暗かったがスタジオはコントロールルームがほの明るく照らされている。モニターはなにか不明だったがアルテックかタンノイの同軸系のユニットからクッキリした女性ヴォーカルが流れる。テンポの早いボサノバ調の曲とよりジャズテイストの強い曲の2曲を試聴。オシャレな曲でどちらもなかなか良いと思った記憶がある。


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英国の音 ローリング・ストーンズ モービル・スタジオ(再掲載)
はじめに
この記事のオリジナルは2012年7月29日に公開した「英国の音 ローリング・ストーンズ モービル・スタジオ」だが、末尾に述べた理由により一部修正したものを再掲載する。

Rolling Stones

ポップ・ロックの分野で歴史に残るレコーディング・スタジオといったら、まずあげられるのはEMIのアビーロード・スタジオ。次に名前をあげるとしたらローリング・ストーンズのモービル・スタジオになるだろう。有名ロックバンドの代表曲の歌詞にこのモービル・スタジオが登場することになった経緯はファンならずとも興味をひく話だ(後述)。

ストーンズのミック・ジャガーが音頭をとって移動録音設備を自前で実現する計画を立ち上げたのは1968年。当時英国のポップ・ロック系のミュージシャンのほとんどは高額なスタジオ料金の請求に喘いでいた。既成のスタジオは1950年代からのクラッシク録音をベースにした保守的で制約の多いスタイルを変えていなかった。朝9時から夕方5時までの営業、3〜4トラックのマシーンでの一発録り。1曲はその日のうちに完成させるというやり方。しかも料金は高い。
世界を席巻しつつあった英国のトップ・ロック・バンドの不満は日増しに高まっていた。60年代末のロックは演奏も録音もそれまでとは比べもにならないくらい複雑化していた。1968年を境にして、マルチトラックと共に新しい録音技術が一挙に入ってきたにもかかわらずスタジオの姿勢に変化はなかた。
ビートルズのようにEMIがあり、マネージメントのブライアン・エプスタインと音楽監督のジョージ・マーティンの三者が運営を総合的に調整していたバンドは良かった。
デッカ・レコードから離れ、独立会社でマネージメントを任せる人がいないローリング・ストーンズの場合はそのすべてがミック・ジャガーの肩にかかっていた。好きな時に、好きな所で、好きなだけ出来る。コードや曲の進行の確認。念入りなリハーサルと時間をかけた録音を行える新しい環境。これが解決策だった。

Stones Mobile 1
Rolling Stones Mobile

当時TV中継車は存在していたが、録音車なんて影も形も無かった時代だ。計画では「移動」より「可搬」にポイントが置かれた。大型のバンにコントロール・ルームがあり、マルチトラック・レコーダー/調整卓/マイク/スタンド/ケーブルなどの一式がコンパクトに収容され、丸ごと指定の建物に横付けできるというのが基本コンセプトだった。
可能な限り最新機材をというのがミック・ジャガーの希望。ミキシング・コンソールにはストーンズが1966年から1972年に渡り6枚作品を録音したロンドンのオリンピック・スタジオの主任技師Dick Sweetenhamが独立して作ったHeliosが使われた。最初は3M社の8トラックと4トラックのレコーダーがそえつけられた。レコーディング・ユニットはBMC(ブリティッシュ・レイランド)のシャーシに架装された。
1969年に完成したモービル・スタジオは早速ストーンズのハイドパーク・コンサートの録音に運び込まれた。
翌年にはヨーロッパで最も早く16トラックのレコーダー(3M M56)を装備するスタジオとなった。


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英国の音 LS3/5A BBCモニター
LS3/5A_1
Chartwell LS3/5A

世間でいう英国の音とは、BBCモニター系列のスピーカーを言っているようだ。BBCは英国放送協会《British Broadcasting Corporation》の頭文字をとったもの。1973年に民間放送が許可されるまで英国では唯一の放送局(長波・中波・短波・FM・TV)であり、受信料で運営される一種の国営企業だった。
BBCモニター系スピーカーのなかでもロジャース/スペンドール/KEF/ハーベス等々のメーカーが作った小型のLS3/5Aの人気が特に高い。
KEF社のユニット供給が終わり1999年末に生産が完了したが、その後もロジャース社やスターリング・ブロードキャスト社はBBCのライセンスをとって復刻モデルを製造・販売している。

LS3/5A(エルエス・スリー・ファイブ・エー)
LS3/5Aのプロトタイプが出来たのが1972年、一般に発売開始されたのは1975年だからなんと40年間ほぼ現役ということになる。お化けのようなスピーカーだ。これまで10万セットが製造され、その内ロジャースだけで4万セット製造している。
生産メーカーは年代ごとに違い非常に複雑だがBBCライセンスでLS3/5を生産したメーカーは
ロジャース - Rogers Loudspeakers Ltd.
チャートウェル - Chartwell Electro Acoustics
オーディオマスター - Audiomaster
ラム - RAM Loudspeakers
グッドマンズ - Goodmans Industries Ltd.
スペンドール - Spendor Loudspeakers
ハーベス - Harbeth Audio Ltd.
ケーイーエフ - KEF
(1999年まで 「Unofficial LS3/5A Support Site」調べ)

最近の2社の復刻版は除くが、全て同じユニット、全て同じ仕様で作られている。
<主な仕様>ユニットは共通
・ウーファ:KEF/B110 SP1003 10cm べクストレン振動板
・ツィーター:KEF/T27 SP1032 2.5cm ソフトドーム型
・クロスオーヴァー周波数:3KHz
・インピーダンス:15オーム(初期型) 11オーム(1987年以降)
・寸法:188 (W)×304 (H) ×185 (D)
当初は出荷時の製品チェックが厳重でメーカーや生産時期が違ってもステレオ・ペアーが組めるほどだったという。


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ロンドン・オリンピック: 女王陛下と「God Save The Queen」
Olympic Logo 2012

7月27日に開催される2012年ロンドン・オリンピック開催式典だが、開会式で流されるであろう86曲の予定リストが流出した。リストを掲載したイギリスの新聞『ザ・テレグラフ』によると、この選曲リストはロンドンオリンピック開会式のクリエイティブディレクターを務める映画監督のダニー・ボイルが開会式で使用する曲をまとめたもので、音楽監督のアンダーワールド(Underworld)のKarl Hydeと Rick Smithの二人がこれらの曲をDJミックスしたものが、開会式の選手入場の際などに流されるのではないかと推測している。このDJミックスはEMIのアビーロード・スタジオで行われると報じている。
オリンピック委員会はこのリストが本物かどうかについてコメントしていなが、おそらく実際のものに相当近いに違いないと『ザ・テレグラフ』紙は伝える。オリンピック終了後に映像やサウンドトラック発売計画があり、実際に音源の許諾交渉がすすめられているからだ。

*ダニー・ボイル(Danny Boyle):2009年、映画「スラムドッグ$ミリオネア」で第81回アカデミー賞で作品賞を含む8部門を受賞した英国の映画監督。

Underground & Danny Boyle
Underworld(左・中) Danny Boyle(右)

このリストがいま英国で大きな話題となっている。「英国元首として開催式典を執り行う女王陛下ははじめてこの曲を聞くのであろうか?」あるタブロイド紙の記事はこう始まっている。リストにセックス・ピストルズの「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」がはいっているからだ。問題なのは「 “God save the Queen/ She ain’t no human being/
There is no future/ In England’s dreaming.”」の歌詞だ。1977年BBCが放送禁止にした。ちなみに彼らの「勝手にしやがれ」のアルバムからはもう一曲「プリティ・ヴェイカント」がリストに入っている。
God Save The Queen Sleeve
God Save the Queen poster by Jamie Reid 1977年


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英国の音 セックス・ピストルズ「勝手にしやがれ」
勝手にしやがれ」

「Never Mind The Bollocks{邦題:勝手にしやがれ)」はセックス・ピストルズが1977年10月に発売した唯一のスタジオ録音アルバム。1996年から1998年に英国を吹き荒れたパンク・ロックがこれ一枚に凝縮されている。ジャケットのアートワークは今見てもかっこよさは抜群のジェイミー・リードのデザイン。
米国のニュース誌『TIME』が選んだ「時代を超えた100枚のアルバム」にマイルス・ディビスの「カインド・オブ・ブルー」やビートルズの「アビー・ロード」とともに「勝手にしやがれ」も選ばれている。歴史を作った一枚であるとともに正統派の英国の音である。

ジェイミー・リード(Jamie Reid)
1947年生まれの英国のデザイナー、脅迫文などに使われる新聞の文字の切り抜きによる作品で有名。ピストルズのロゴを含めシングル、アルバムなどの一連の作品で世界的に有名になった。特にシーン・オリバーのエリザベス女王の写真を安全ピンでコラージュした作品は英国のパンクを象徴するものとなった。
Anarchy In The UKポスター
Poster design by Jamie Reid 1976年

**「時代を超えた100枚のアルバム(All-TIME 100 Albums)」
2006年11月13日発売号のTimeの特集。同誌の評論家Josh TyrangielとAlan Lightがジャンルや年代にとらわれない、世界に影響を与えた音楽作品100枚を選んだもの。ランク(順位付け)は無く1954年以降の作品が年代ごとに並べられ、一枚ごとに説明が付けられている。


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英国の音 ロッド・スチュワート「ナイト・オン・ザ・タウン」
ナイト・オン・ザ・タウン

「アトランティック・クロッシング」から9ヶ月後の1976年6月に発売されたアルバム。印象派ルノワールの絵を用いたジャケットのデザインが目を引く。名画 "ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット"(オルセー美術館所蔵)を下地にカンカン帽とクラバッド(首に巻いたスカーフ)という当時のいでたちのロッド・スチュワートの姿が真ん中に描かれている。
収録曲「Tonight's the Night (Gonna Be Alright)」(邦題:今夜きめよう)は全米No.1を7週記録し大ヒット。彼の国際的な成功を決定づける作品となった。
前作とほとんどダブらないミュージシャンが起用されている。これだけ沢山の個性的なミュージシャンで録音して、同じ色彩で統一したトム・ダウドのプロデュースの手腕は本当に見事。
ブリティッシュ・フォークとサザン・ソウル的なテイストを融合させたサウンドが、前作より心持ちふっくらしたドラムスの低音とギターの音に支えられて心地よく響く。Mercury時代の音に戻ったかのようだ。

このアルバムのクレジットでは1曲 "The First Cut Is The Deepest" のみがマッスル・ショールズ録音で、残りはすべてハリウッドのチェロキー・スタジオで録られたとある。
2007年に閉鎖され、跡地はマンションになったが、チェロキー・スタジオはLAで最も成功を収めたスタジオだ。ゴールド、プラチナに輝く作品を300枚以上生んでいる。(そのうち3枚はロッドのもの。)ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンがその著作のなかで米国で最も優れたスタジオはチェロキー・スタジオだと褒めたというが、妙に納得してしまう。実はこのスタジオには英国の血が入っている。

チェロキー・スタジオ
Cherokee Studios 1986年


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英国の音 ロッド・スチュワート「アトランティック・クロッシング」
Atlantic Crossing

ロッド・スチュワートが1975年に発表したアルバム。タイトルは「大西洋を横切って」。絵柄も今まさに大西洋をひとまたぎしようとするロッドのイラストが描かれている。
1968年にMercuryとの間で交わしたソロ契約を、長い裁判のすえ1974年末に解消。翌年にフェイセスのメンバーとして契約していたワーナー・ブラザーズと新たにソロ契約を締結する。デビュー以来、拠点としてきた母国英国を離れ、米国に舞台を移した最初の作品だ。
英国のトップアーチストを迎えるワーナー側も受け入れに万全の体制をとる。グループ傘下のアトランティック・レコードの全面協力を得て、重役待遇を受ける独立プロデューサー、トム・ダウドを起用する。ワーナー社長ジョー・スミス(当時)自らがダウトに電話してロッド・スチュワートの向こう数作品のプロデューサーを引き受けるよう依頼する。

Tom and Rod
Tom DowdとRod Stewart

英国出身のR&Bシンガーの常として、ロッド・スチュワートも、アメリカン・ルーツ・ミュージックに並々ならぬ関心があった。そんなロック・スターを物心両面でバックアップ可能なレーベルは当時のアトランティック・レコードをおいてないだろう。
「アメリカの音」そのものと言ってもいいスタジオ・ミュージシャン集団、米国南部メンフィスのブッカーT&ザ・MGズ、そしてアラバマ州のマッスル・ショールズ・リズム・セクション(通称スワンパーズ)。アトランティック・レコードは彼らと長く続く関係を築くために、録音設備をニューヨークのスタジオと互換性を持たせることを目的に、8トラック・レコーダーの導入はもとよりスタジオ設備の近代化にも力をそそいだ。財政的な援助も添えて。彼らをパートナーとしてプロジェクトに組み込むための“影の立役者”は、NYと南部を忙しく往復したアトランティックの副社長のジェリー・ウェクスラーとトム・ダウトの二人。特にダウドは録音担当・設備更新双方のエンジニアを務めた。


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英国の音 ロッド・スチュワート「マギー・メイ」
Every Picture Tell A Story

ロッド・スチュワートは英国を代表するシンガー・ソングライター。
1971年に発表した「マギー・メイ」は同時に発売されたアルバムの
「Every Picture Tells A Story」とともにシングル、LP同時に全英・全米NO.1の快挙を成し遂げ、彼をカルト・シンガーから一躍国際的なスーパースターに押し上げた曲。シンガー・ソングライターとして自作曲も歌うが、他人のカバー曲を歌う場合は全て自ら選曲する。本職のヴォーカルだけでなくギター、ピアノ、ハーモニカも一級の腕前だ。本作はロッドが英国で制作した時代の傑作。筆者のお気に入りの一枚だ。
「Every Picture Tells Story」アルバムはピアノやアコースティックギターで始まってロッドのヴォーカルとオルガン、ベースが加わりそしてギターのカッティング、中盤からはマンドリンか曲によってヴァイオリンも加わる。フォーク・ロックと言っても過言ではないほどスコットランドのトラッドに近い音の構成になっている。なかで歌われる「AMAZING GRACE」はスコットランド民謡でアメリカでは聖歌として歌われている曲。
全体をとうして、ブンブン、ドスドスいうドラムスとベースの響きが大きいから、あたかもバグパイプで演奏するように、常に通奏低音に当たる音が鳴っている。音量を下げて聴くと分離の悪いモコモコした音に聴こえるが、ロッドのしゃがれた声とハイハット・シンバルそしてギターのカッティングが高音部のキレやアクセントになったいる。少しだけボリュームを上げてやればふっくらした低音にスッーと伸びた高域がバランスした音が鳴る。筆者のイメージする典型的な英国の音そのもの。
このアルバムや前作の「Gasoline Alley」は録音が悪いという声を一部で聞くが、大いなる誤解である。これこそロックンロールとフォーク・トラッドを絶妙な感じでミックスして当時の若い労働者階級に圧倒的に支持された生粋の英国サウンドだ。

ロッド・スチュワートが英国で制作したソロの4作品(68年制作の1stアルバムを除く)、さらに彼がリード・ヴォーカルとして在籍したフェイセスの録音のほとんどはロンドン北部のウィルスデンにあるモーガン・スタジオでおこなわれている。

Morgan Studios
Morgan Studiosだった建物 1978年
ロンドンのスタジオではEMIのアビーロードが最も有名だが、1960年代末から70年代始めにかけて世界的に見ても最も目覚しい成果をあげたのがこのモーガンとトライデント(トライデントに関しては「英国の音:ヘイ・ジュード」参照)だ。いずれもレコード会社に属さない独立系スタジオである。両者は技術的にも英国デッカ・レコードと並んで70年代のイギリスの録音技術の最前線にあった。1968年にはどちらもいち早く8トラック・レコーダーを導入。翌年には競うように16トラック・レコーダーを入れている。


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英国の音 ビートルズ「ヘイ・ジュード」
Hey Jude at BBC

ここで「ヘイ・ジュード」のサウンドは典型的な・・・という内容の文章を書くつもりは毛頭ない。それは次回にとっておこう。
「ヘイ・ジュード」が録音された1968年夏の終わりから秋にかけては英国の音楽スタジオやアーチストを取り巻く環境に大きな変化が起きた時期。その歴史的なひとコマに触れておきたい。
EMIスタジオはビートルズの次の新作に備えて8トラック・マルチレコーダとRedd 37調整卓に代わる多チャンネル用コンソールの準備に大わらわだった。前作「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」は2台の4トラックマシーン(スチューダ J-37)を同期させて製作されたが、とてもシンクが難しくて大変なリスクを伴う録音だった。EMIのこれからがかかるビートルズにそんな危険はおかせない。自社の準備が整うまで外部の独立系スタジオ(レコード会社経営ではない)を借りて録音を進めるのはやむおえなかった。
1968年にロンドン中心部のソーホーに開設されたばかりのトライデントが、いち早く8トラックマシーンを装備したスタジオだった。ヨーロッパ全体見渡しても稼働中の8トラックマシーンはここの米国製アンペックスのAG440-8のほか1台のみだった。
ビートルズは次のシングルに決まった「ヘイ・ジュード」を初めての8トラックレコーディングで行うことに決めた。
1968年7月30日トライデント入り。アビー・ロードで録った前日までのテイクを全て破棄して、新たにリメイクを開始。ここで録られた4テイクのうち最初のテイクを基に録音が続けられる。

1968年8月6日トライデントでこの曲のリミックス作業が行われる。

1968年8月8日。アビイ・ロードにそのテープが持ち込まれてみると、トライデントで録音した後とは違い、高音がまるでない変わり果てた音になっていた。

Ampex A440-8
AMPEX AG440-8

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英国の音 リバプールとビートルズ・ミュージアム
リバプール

1983年から84年にかけて仕事で何度かマンチェスターを訪れた。
すでに故人となっている地元ロック・バンドのマネージャーだったグレットン氏から、隣町リバプールで開催されているビートルズ・ミュージアムを見に行かないかと誘われた。マージー川の河口に開けたリバプールまで50Km。マンチェスターからは車で45分だ。日曜日の午後にリバプールに向かう。さびれたかけたリバプールの中心街のはずれに設けられた黄色のテント地の建物がそうだった。(現在アルバート・ドックに開設されている「ビートルズ・ストーリー」とは全く別の催事。
1985年にこのミュージアムはアメリカ各地を回るためにリバプールから移転してしまう。)
迷路風の通路で繋げられた時代を追っての展示は、2階建ての高さを生かした、迫力のあるものだった。1973年に閉店してしまったオリジナル「キャヴァーン・クラブ」を再現したアトラクションももちろんお約束通り。ポールがリバプールとロンドンの間を何度も往復したという伝説のMiniの展示もあった。ジョンとヨーコの等身大のヌード写真が飾ってあったのはご愛嬌。
さて本題だが、このミュージアムの目玉はビートルズがほとんどの録音をした、EMI第二スタジオ(現アビーロード・スタジオ)のコントロールルームを忠実に再現した部屋だった。コンソールとモニターは当時の実機だと解説には書いてあった。SSLやNeveの新しい調整卓を見慣れている目には随分古い機材だなという感想しかなかったが、もっと目に焼き付けてくれば良かったと後悔している。


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