ロックンロールの創始者、 チャック・ベリー死去(享年90歳)
チャック・べりー
ロックンロールの創始者の一人して知られる米国アーチスト、チャック・ベリーが3月18日に中西部ミズーリ州セントチャールズ郡の自宅で死去した。享年90歳。
本名はチャールズ・エドワード・アンダーソン・ベリー(Charles Edward Anderson Berry)。1926年、ミズーリ州のセントルイスで生まれた。隣人からギターの基礎を学び、1952年にピアニストのジョニー・ジョンソン率いるグループに参加。シカゴ・ブルースの父と慕われたマディ・ウォーターズの口利きによって1955年、チェス・レコードと契約し、シングル「メイベリーン」(全米5位)でデビューした。
独特のギター奏法と弾きながら腰を曲げて歩く「ダックウォーク」が話題となり、「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」「ロックンロール・ミュージック」「ジョニー・B・グッド」などを次々とヒットさせた。特徴的なギターリフを使った音楽スタイルは、後代のロックアーチストに多大な影響を与え、最初期のギター・ヒーローとして多くのミュージシャンから敬愛された。


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映画「男と女」に出演、テーマ曲を歌ったピエール・バルーが亡くなった。享年82歳。
アルバム「花粉」
「Le Pollen」(1982年)
元旦早々、旧聞にぞくする訃報を掲載するのは気がひけるが、12月28日にフランス人の作曲家、プロデューサー、映画俳優のピエール・バルーが亡くなった。享年82歳。彼はクロード・ルルーシュ監督「男と女」(1966年制作)に出演。主題曲を歌い有名になった。『ダバダバダ・・・』で知られる名曲。作曲は友人でもあるフランシス・レイ。
バルーは日本ではブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように(Comme à la radio)」(1969年)を制作したレーベル、サラヴァ(Saravah)を主催したことで知られる。前述の映画「男と女」の深刻な資金不足を補うためフランシス・レイと共同名義で作った音楽出版社が母体。ブリジット・フォンテーヌとアート・アンサンブル・オブ・シカゴとの共演「ラジオのように」がヒットし、欧州最古のインディペンデント・レーベルとして活動を広げていった。日本で「ラジオのように」がリリースされたのは1972年。日本コロムビアからだった。


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「ラスト・クリスマス」を歌ったジョージ・マイケルが Xmasの日に亡くなった(享年53歳)
George Michael

今年の最後の最後になって残念なニュースが飛び込んできた。
ジョージ・マイケルの広報担当者は、ジョージ(53歳)がクリスマスの日、英国オックスフォードシャーにある自宅で亡くなったとの声明を発表した。死因は明らかでないが疑わしい点は見あたらないと地元警察は述べている。
ジョージは1982年にワム!としてデビュー。「Club Tropicana」「Wake Me Up Before You Go-Go」「Freedom」「Last Christmas」などのヒット曲を生み、デュオ解散後も「Careless Whisper」「Faith」」「Don’t Let The Sun Go Down On Me」など数えきれないほどの名曲を世に送り出した。BBCが全英第1位を獲得したシングルをまとめている。それをあげておこう。
<George Michael's UK number one singles>
・Wake Me Up Before You Go Go (with Wham!) - 1984
・Freedom (with Wham!) - 1984
・Careless Whisper - 1984
・I'm Your Man (with Wham!) - 1985
・The Edge of Heaven (with Wham!) - 1986
・A Different Corner - 1986
・I Knew You Were Waiting For Me (with Aretha Franklin) - 1987
・Don't Let the Sun Go Down on Me (with Elton John) - 1991
・Five Live EP (with Queen and Lisa Stansfield) - 1993
・Jesus To A Child - 1996
・Fastlove - 1996
アレサとの「I Knew You Were Waiting For Me 」、エルトンとの「Don't Let the Sun Go Down on Me」そしてクイーンと共演したLive EPを除けばすべて自作曲。ソングライターとしてもずば抜けた才能の持ち主だった。また生涯を通じ1億枚のアルバムセールスを記録している。


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米国ポピュラー音楽界の巨人レオン・ラッセルが死去
レオン・ラッセル 2008年
Leon Russell, April 2009 (pic.:Wikipedia)
11月13日、レオン・ラッセル(Leon Russell、本名 Claude Russell Bridges)がナッシュビルの自宅で死去した。享年74才。公式サイトやFacebookのページでは、レオンは就寝中に亡くなったと妻が述べている。
代表曲「ア・ソング・フォー・ユー/ A Song For You」(デラニー&ボニーとの共作)は、カーペンターズがカバーし、彼らの日本でのブレイクのきっかけとなった。またジョージ・ベンソンの名を一躍世界に広めたアルバム「Breezin'」に収録されヒット曲となった「マスカレード/ This Masquerade」もレオンの曲。

Joe Cocker & Leon Russell
Joe Cocker and Leon Russell, 1970
60年代にスタジオミュージシャンとしてLAで活躍。1970年代以降はソロ・アーティストとして活躍する。 1971年に公開されたジョー・コッカー全米ツアーのドキュメンタリー「Mad Dogs and Englishmen」(ビエール・アディッジ監督)でジョー・コッカーと共演。バンド・リーダー&キーボーディスト(兼ギタリスト)として圧倒的存在感を見せつけ、一躍知られるようになった。その米南部の泥臭い音楽性により”スワンプ・ロックの帝王”とも呼ばれ、ジョージ・ハリスン、エリック・クラプトン等、多くのアーティストに影響を与えた。
近年、かねてから親交のあるエルトン・ジョントと共作アルバム「The Union」(2010年)を制作。これが遺作となった。

シェルター・ピープル cover
「Shelter People」1971年
今日は2ndアルバム「シェルター・ピープル」(1971年)の1曲目に収録された、クローディア・リニアとキャシー・マクドナルドの女性二人によるゴスペル風コーラスが印象的な「Stranger In A Strange Land」を聴いて合掌。冥福を祈る。



ハリウッドの影の歌姫 マーニー・ニクソンが亡くなった
マーニー・ニクソン
Marni Nixon 1930/02/22 - 2016/07/24
ハリウッドのミュージカル映画黄金期(1950年代から1960年代半ば)を支え、米映画史上で最も著名な「影の歌姫」と評されたマーニー・ニクソンが亡くなった。AP通信によると2016年7月24日、ニューヨークのマンハッタンで肺癌のため亡くなる。享年86歳。
著名なミュージカル映画において「最強のゴーストシンガー」といわれ、女優の歌唱シーンの吹き替えを担当していたのがマーニー・ニクソン。誰もが耳にしている「Tonight」や「Shall We Dance?」を歌っているのが実は彼女だった。その女優の特有の発音や声色まで似せて歌うニクソンは「最強のゴーストシンガー」としてハリウッドの業界関係者の間では知らぬもののない存在であったが、吹き替えはトップシークレットであったため、長年にわたり彼女の存在を世の人が知ることはなかった。映画会社の「スターのイメージを保つため」の戦略として、ニクソンの名はエンドクレジットに載ることはなかった。吹き替えを公表しない契約書にサインさせられていたのである。


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米国人気アーティスト プリンスが急死した
プリンス

米人気歌手のプリンスが4月21日、米中西部ミネアポリス近郊の自宅で死亡しているのが見つかったと米CNNなどが伝えた。享年57歳。
プリンスは同日午前、チャナッセンにあるスタジオ兼自宅のペイズリーパークスタジオのエレベーターの中で意識を失って倒れているのが見つかった。通報で駆け付けた救急隊が蘇生を試みたが、意識が戻ることはなく、死亡が確認された。オバマ大統領も声明を出し「現代で最も才能豊かな音楽家の一人だった」と惜しんだ。
プリンスはこれまでに12作品のプラチナアルバムと30曲のトップ40シングルを生み出し、アルバム・シングルの総売り上げは1億2000万枚以上になる。1984年、同名映画のサウンドトラックとして「パープル・レイン」が発表され、プリンスの人気は頂点に達した。発売とともに100万枚を売り上げたこのアルバムは、ビルボードチャートの全米アルバムチャートで実に24週間もトップをつづけた。デビュー以来、作詞・作曲・歌唱・演奏・プロデュースの全てを自ら行うスタイルを貫き、カリスマ的な存在として多くのミュージシャンに多大な影響を与えた。
まだ若い天才ミュージシャンの死。ご冥福を祈る。
 

デヴィッド・ボウイが亡くなった(享年69歳)
David Bowie

英国を代表するロック・アーチスト、デヴィッド・ボウイが満69歳を迎えたばかりの1月10日に亡くなった。癌の宣告を受け闘病生活を18ヶ月間続けていた。死亡はFacebookのオフィシャルページに発表された。息子の映画監督のダンカン・ジョーンズもボウイが亡くなったことをツイートしている。
2000年、デヴィッド・ボウイは英国の音楽紙『NME』がミュージシャンを対象に行ったアンケートで、「20世紀で最も影響力のあるアーティスト」に選ばれた。本名はDavid Robert Hayward-Jones。モンキーズのディビー・ジョーンズとの名前の混乱をさけるため芸名をデヴィッド・ボウイに変えている。生涯25枚のアルバムを発表。ちなみに25枚目の「ブラックスター(Blackstar)」は先週1月8日の誕生日に合わせて発売されたばかり。好きなアーチストの一人だった。ご冥福を祈る。
 

イエスのクリス・スクワイアが亡くなった (享年67才)
クリス スクワイア '77
Chris Squire, Yes, Hallenstadion, Zürich, 11/20/1977

米紙ニューヨーク・タイムズ 電子版がイエスのベーシスト、クリス スクワイア(Chris Squire)が無くなった事を報じた。67歳。白血病を患っていた。今年5月に白血病(急性骨髄性白血病)であることを公表。治療を行うため今夏ツアーからの離脱を発表していた。
1948年、ロンドン生まれ。1967年暮れにジョン・アンダーソンらとイエスを結成した。全てのアルバム制作に参加した唯一のメンバー。組織的な面で実質的なリーダーだった。ベースの技術は世界のベーシストに大きな影響を与えた。イエスの1971年のアルバム「こわれもの」と1972年の「危機」は愛聴盤だった。1973年3月9日、初来日の東京2日目 渋谷公会堂のコンサートを見ている。天井のミラーボールが回転し、幻想的な雰囲気を醸し出していた。レコード通り、カラオケかと疑う様な完璧な演奏にジョン・アンダーソンのヴォーカルがのるのにビックリした覚えがある。

イエス「危機」
Yes / Close To The Edge - Gatefold Sleeve

近年、スクワイアーが全面協力しスティーヴン・ウィルソンが新リミックスで復刻を行ったBD盤「危機(Close To The Edge)」は真剣に視聴。大変楽しませてもらった。 (『Blu-ray Audioでイエス「危機」のニューミックスを聴く』参照。)
ご冥福を祈る。
 

タンジェリン・ドリームのリーダー、エドガー・フローゼが亡くなった(享年70才)
Strastofear
浪漫(Stratosfear)
1月20日、ドイツのシンセサイザー・バンド、タンジェリン・ドリームを率いたエドガー・フローゼがウィーンで亡くなった。享年70才。1970年代半ばにヴァージン・レコードと契約、「フェードラ(Phaedra)」(1974)、「ルビコン(Rubycon)」(1975)、「浪漫(Stratosfear)」(1976)という3枚の名作を同レーベルに残している。「フェードラ」と「浪漫」の2枚は当時の日本で1万数千枚というこの手のジャンルでは異例の売上を記録した。
実は筆者はこれらの作品の日本での担当者だった。1976年にロンドンを訪問した際には彼等のアルバートホールでのコンサートも見ている。「浪漫」の発売に合わせたコンサート。その2年前フランスのランスの大聖堂で行われた伝説のカテドラルコンサートが大反響を呼びソールドアウトとなっていた。メンバーはフローゼの他クリストファー・フランケとピーター・バウマンという絶頂期の顔ぶれ。

Tangerine Dream
Tangerine Dream performs in a concert, 2007
コンサートの前日、所属レーベルの手配でバンドメンバーも宿泊しているロンドンのノッティンヒルゲートにある小さなホテルに泊った。レーベルのポートベローのオフィスからほど近い、シャワーだけの小さなB&B。同宿のメンバー3人とはロビーで歓談することが出来た。プロモーション用に幾つかの質問を用意したが、メインで答えてくれたのはエドガー・フローゼ。ピンク・フロイドにどんな影響を受けたかなんて失礼な質問にも、ジョークを交えながら答えてくれた。外国のミュージシャンとはじめて真剣な会話(?)をかわした最初の一人が彼だった。思い出はつきない。ご冥福を祈る。 
 

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